進化し続けるためは拠所が必要となる

いつも、ブログの更新は 23:00 に投稿するようにしています。

で、先ほど 23:05 に今日のブログを書いていないことに気が付きました。

一瞬「たまには休んでもいいかな」という心の声が聞こえましたが、数分の自問自答の後、書き始めました。

なんであれ、毎日更新って毎日書かなければ達成できない目標ですからね。ここでやめるわけにはいかない!

 

こんばんは、コーチングスケイプの大森です。

 

自分で決めたルールなんですけど、こういう抑止力となるものがあるのとないのとでは長い目で見たら、最終的に大きな違う結果を生み出すのではないでしょうか。

たとえば憲法。民主主義の国では国民の意見が尊重されます。いわゆる民意ということですけど、これって多数決の原理が働くんですよね。多くの国民が望んでいること、民意の大きさがものをいう世界です。

 

でも、これって考えようによっては怖いと思いませんか?

多数派=正義という図式になりがちですが、いつも多宗派が正しいとは限らないからです。組織でもなんでもそうだと思いますが、集団って時として暴走するときがあるのです。悪いことと思っていても会社の不正を誰も防ぐことができなかった、などという事件は数年に一度はニュースで耳にします。

 

国という単位でも同じことがいえるのではないでしょうか。事実、戦争という暴走をだれも止められなかった過去がありますからね、我々の国は。

で、民意の暴走を防ぐ抑止力として憲法というものがあります。ここでは今の日本が云々ということを語るつもりはありません。どこの国でも憲法は国民の暴走を防ぐ機能を担っているのです。

 

でも困ったことに、そういうものであるからこそ、細かな部分を規定するものではなく、いろいろな事象を包含できるように抽象的な表現を使わざるを得ないのが憲法の規定です。そうすることによって広い意味で抑止力を働かせることができるのですね。

抽象的な表現はいか様にも解釈できるわけですから、拡大解釈も可能となってしまいがちになるのが痛いところです。

 

話をコーチングに置き換えると、コーチングって様々な意味合いで使われています。なので、現時点で「コーチングとは」といっても一つの定義では収まりません。

では、何でもいいのかというとそうではないのです。

そこで国際コーチ連盟では、我々が行っているコーチングを「コア・コンピテンシー」と「倫理規定」というもので定義しています。英語でも日本語でも読めるので興味のある方は一度読んでみることをお勧めします。

読むと分かるのですが、結構ふわふわっとした抽象的な文章で書かれています。場合によっては「だから何?」というような項目も。

でも、当たり前なんですね。私も最初に読んだときは「だから何?」と思うことも多かったのです。でも誤解だということが分かりました。

 

これらは「これをすればコーチングができますよ!」という意図で書かれたものではないということです。

「コーチングとは○○だ!」といってしまうと世界が狭まり今後のコーチングの広がりをつぶしてしまいますので、「○○もコーチングだ」と外延的な定義をしていくことになります。この外延的に定義するときの抑止力として、先のコア・コンピテンシーや倫理規定があるのだということです。

なので、「こうしてください」と言っているのではなく、「これに反することはコーチングではありません」という読み方をしないといけないのです。

だから、国際コーチ連盟のコア・コンピテンシーと倫理規定は、我々コーチにとっての憲法のようなものなのです。今後拡大していくコーチングの拠所となるために。

 

あなたは今後、何を拠所にして進んでいきますか?

 

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