モノへの執着心と目には見えない大切なもの

昨日の記事で書いた小学生の頃の愛読書を読みました。まだ序盤ですが、書かれている内容が古く、また翻訳本ならではの読みにくさも手伝って、かなり読みづらい。でも、あの頃はワクワクしながら何度も読んでいたわけで、小学生には分からないことも多かっただろうと思います。

内容はほとんど忘れていたのですが、読んでいるだけで懐かしさが込み上げてきました。

 

こんばんは、コーチングスケイプの大森です。

 

以前は新品が好きでした。所有者も学生時代に最初に買った車を除いてはすべて新車でしたし、カメラも新品。本なども古本(でしか手に入らないものは別にして)ではなく新しい本を購入していました。

人の手垢が付いたものではなく、それを自分の手で古くなるまで使うということに憧れていた。飽きっぽい性格なので実際にそのようになったものは少ないけれど、30代前半に買った皮製のアタッシェケースなどは今も気に入って使っています。自分に馴染んでいく感覚が好きなんでしょうね、きっと。

最近は少し嗜好に変化が出てきて、中古でもいいと思うようになってきました。正確に言えば中古品の良さが理解できるようになった、ということだと思います。他人が大切にしてきたものを引き継ぐというほどのことではないのですが、何となく他人の痕跡を許容できるようになってきたのでしょうね。

 

若いころはいろいろなモノが欲しかった。車やカメラ、オーディオ、安くはない皮製品(鞄や靴、財布など)、万年筆、家、自分の部屋。モノではないけど、報酬や、自分の地位、他人からの評価なども欲しかったものの一つです。

で、ある時期に一定のレベルで手に入ってしまうんですね。そうすると不思議なもので、その欲求が薄まると同時に別の欲求が出てくる。目には見えないけど、とても大切なもの。

たぶん、自分の奥底にある価値観を満たすものです。それが何かは人それぞれなのでしょうけど、それが何かが分からなくてモヤモヤした時期を、私の場合は30代後半で迎えました。そこで見つけた価値観が私にコーチングを学ばせ、独立するに至る原動力となったわけですけど、モヤモヤした時期は2年くらい続いていました。これから何をしたらいいのか分からず途方に暮れて、不安で仕方ない日々だったことを覚えています。

 

それから10年たった今、新たな変化としてモノへの執着が取れてきたのかもしれないと感じています。何故か分からないけど、新品である必要がなくなったのです。ひょっとしたら50歳を目前にして、新品を自分に慣らしていく時間がないことを感じているのかな?とも思いましたけど、その考えは一旦脇に置くことにします。

先ほどの30代くらいまでのいろいろなモノが欲しい時期を「獲得」の世代ならば、今は「手放す」世代なのかもしれません。いろいろなモノを手放すことで、眼に見えない何かが得られる。それが何かは今の私には分かりませんが、これからそれと出会えることを楽しみにしておきたいと思います。

 

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