思い切って手放してみると、案外何とかなる

最近「デジタル・デトックス」という言葉に出くわした。

デジタルストレスとかは何となく語意が想像できるけど、いろいろな言葉を作り出すもんですね。これは、デジタル(SNSやスマホなどの機器)が影響して感じるストレスから解放されるという意味動きみたいです。

 

こんばんは、コーチングスケイプの大森です。

 

SNSが普及してから特にだろうけれど、インターネット中毒的な行動は自分の身の回りにも存在している。私の場合、ツイッターがそれに当たるのかもしれないし、それ以外でもこのブログのアクセス数なども気になってこまめにチェックしてしまう。

一般的には2000年前後(Windows95が出た頃だとするともう少し前)からインターネットが普及して、ビジネスの現場でも電子メールが当たり前になりました。元々は外資IT企業の出なので私も早い時期からモバイル環境を装備して四六時中メールをチェックしていた時期があります。

この頃はWi-Fiもスマホもないのでモデムという小さな箱を携えて、海外出張中でもホテルでメール、本社のオフィスでもメールで連絡を取っていましたね。おかげでお客様からのメールに迅速に対応することが取れて、帰国後に海外出張中だったことを告げると驚かれました記憶があります。

 

そんな私も最近は意識的にネットに繋がっていない時間を取るようにしています。別にデジタルストレスを感じたわけではないのですが、何となく繋がっていない時間が大切なもののように思えたからです。だって、ツイッターを開いていても流れるタイムラインをすべて読むわけでもなく、漠然と画面に向き合っているだけだったりすることが多いのですから。だったら、その時間を本を読む時間とかに当てた方が有意義に思えたわけです。

スマホを解約してガラケーに変え、いつも持ち歩いていたノートパソコンは外出するときには家に置いておく。それでもレポートとか原稿を書くことがあるので、ポメラDM100(ワープロ専用機のように文章作成の機能しかついていない)を持ち歩くようにしました。これだとネットに繋がらないので、基本的には文章を書く時のみ使用します。

ついでにガラケーもいわゆるPHSなので、キャンプなど山奥に入ると電波が届かないので強制的に音信不通になります。

 

で、結果的にどうなったかというと、別に何も変わりません(笑)

 

変わらないと言うと語弊があるかもしれませんが、不便なく生活できているという意味です。スマホを持たない不便さは、地下鉄などの経路や時間を調べたいときくらい。乗換案内などのサービスで、○○駅に何時までに着きたいときとかの検索は便利ですからね。でも、これも前日に調べておいて手帳に書き込んでおけばいいだけです。前もって準備をするという習慣づけにもなるので、むしろ好都合。

知人と待ち合わせをする際に、直前に「遅れます」などの連絡をFacebookメッセンジャーなどで送られると私からは見られません。唯一の不便といえば不便なのですが、こちらも徐々に「スマホを持っていない人」という認識が高まれば解消されることでしょう。(先方は困るかもしれませんけどね・・・)

 

いままでもストレスを感じていたわけではないのですが、無くても何とかなるのならスマホも要らないし、ネットも家にいるときだけチェックすればいいのだと思います。(お仕事のスタイルによっても変わるかもしれませんけどね)

無くては不便とか、絶対に必要だとか、案外自分が勝手にこしらえた幻想かもしれませんよ。

 

あなたが考える『必要』は、本当に必要ですか?

 

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