人はどこまで他人に共感できるのか?

関東も梅雨入りをして、今日は梅雨らしい空模様。

という風に会話の始まりに天気の話題から入るのは、天気は誰もが経験していることだからです。

会話の始まりで相手と共通の体験をシェアするのは、コミュニケーションスキルでも基本の部類です。

経験を共有しているからこそ、共感が生まれるわけですね。

 

こんばんは、コーチングスケイプの大森です。

 

共通の体験があればいいのですが、ない時はどうしたらいいのか?

実体験の伴わない共感は、共感なのだろうか?

今日はそんな話題です。

 

全く同じ体験はできないにしても、近い体験を持つ人間同士ならば、相手の感覚や気持ちを察することが出来ると思います。共感をされた方も、それを理解しているから違和感を感じません。

でも、類似体験が無い人間が共感の言葉を発した時はどうでしょうね。

 

たとえば「大変ですね」と言った時に、「あなたには分からない」と言われたことはありませんか?

「大変ですね」という言葉は相手を慮る言葉ではありますが、それまでの会話の流れや、声の調子などで伝わり方が変わります。「大変だ」「つらい」という相手のことをどこまで受け止めているかは、やはりその人の体験によって変わるのだと思います。それが会話の流れや声の調子などに表れて相手に伝わるのかもしれません。

 

私の話をすると、私は重病を患った経験がありません。身体にメスを入れたこともありませんので、大病を患い手術をした人の気持ちが実感値として理解できないのです。

ただ理屈では分かります。テレビなどでそのようの場面を見たことがありますし、想像の範囲内で「さぞかし大変だったのだろう」ということは推測できます。

しかし、やっぱり私が発する「大変でしたね」は相手にとって軽い言葉として伝わることでしょう。

だからコーチングセッションでも、自分が体験したことのないクライアントの体験に対して、不用意な共感の言葉は避けています。

「私にはそのような経験がないので100%共感できるわけではありませんが、相当大変だったのだろうということは理解できます」

そういうときの私の共感の言葉です。わかった「ふり」はしたくないのです。

 

こういう事は日常でもよくあることではないでしょうか。例えば、仕事。

自分が過去に苦労した経験を、新たにその業務に加わったメンバーに伝えた場合、類似の体験がある人は「自分が思っているよりも大変なことなんだろう」と受け取るでしょうし、そうでない人は「でも、何とかなるでしょ」と思っているかもしれないのです。

一番いいのは、その人にも同じ体験をしてもらうことです。一度でも失敗すれば大変さが分かるかもしれないからです。

ただ、実際の現場ではそのような時間的余裕がないことが多いのですよね。だから困る。

 

「冷暖自知」

 

正にこの言葉通りですね。

「冷たい」「熱い」は言葉で説明しても伝えることが出来ないけれど、実際に自分で触ればわかる。

これを言葉で伝えようとすると、頭を抱えることになるわけですね。

 

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