気持ちではなく思考で受け止める

中国にシャオアイスという人と会話するスマホアプリ(人工知能)があって、四千万人ものユーザがいるそうです。ユーザひとりひとりに合わせた会話ができるので、まるで本物の人間みたいだと感じる人も多いようです。

この人工知能はユーザごとの反応を記憶・学習し、そのユーザが喜ぶことを言うように作られている。中にはシャオアイスを自分の恋人のように感じているユーザもいるのだとか。あるユーザが「歌って」とシャオアイスにお願いしてもなかなか歌ってくれず、ある日「家族とけんかした」と伝えると、励ましのメッセージとともにラブソングを歌ってくれたそうです。

相手に共感をするとか、人間同士が心を通わせる行為だと定義をすると、この人工知能とこのユーザ(人間)の関係はどう捉えたらいいのでしょうか。

 

こんばんは、コーチングスケイプの大森です。

 

相手が自分のことをわかって欲しいという願望があって、それを満たすのが共感と定義すると当てはまるかもしれませんね。

だとすると、気持ち(心・感情)は共感に必要なんだろうかという疑問も浮かんでくるのです。

自分が体験したことがないこと。そういうものに対して共感は難しい、というのが私の持論です。ですから私はコーチングのセッション中に不用意な共感は示しません。

 

先日、ある方の体験談を聞きました。学生時代に運動部に属して頑張っていたが、4年生になったときに新しいコーチが入ってきた。そのことによって今までのやり方(ゲームの進め方だけでなく体の動きも)が変わったそうです。3年間の練習で身体にしみ込んだ動きは簡単に変えられません。その時の苦労話だったのですが、私にはそのような経験がないのです。

でも共感を示せた部分もあって、その私の体験は悪筆矯正でした。何度かこのブログでも書いていますが、現在もペンの持ち方を正しくするよう矯正中なのです。持ち方を変えると何が起こるかというと、今まで何気なくかけていた文字が全く書けなくなります。笑ってしまうほど、指も手も動かなくなります。

人間の動きを支えているのは大小さまざまな筋肉です。自分の現在の動きを支えている筋肉は日々鍛えられていますが、使わない筋肉は鍛えられておらず、自分の意志ではなかなか動かせない。

このことを身をもって体験したのが悪筆矯正でした。体が自分の思うように動かないだけでなく、今までできていたことがまるっきり出来なくなる自分がとてもつらいのです。「こんな簡単なこともできない自分」をこんなに意識することはないでしょう。動かないことよりもそちらの方がつらいかも。

でも、出来るようになるためには反復練習しかありません。反復していくうちに必要な筋肉が鍛えられ、自分の意志通りに動くようになるのです。右利きの人が左手にペンを持って文字を書けばわかるかもしれません。動きとしてはそういうことですが、「利き手じゃないからね」という言い訳ができます。この言い訳がどこにも通用しないという状況なのです。

その人の学生時代の貴重な思い出と、私のペンの持ち方矯正を比べるわけにはいきませんが、それを伝えた結果、体が意志通りに動かないつらさを私が受け止められるということが相手に伝わったのですね。

 

この共感は、(少なくとも私の場合)相手の気持ちを受け止めたわけではありません。理解したのです。

つまり、気持ちではなく、理屈や理解することで受け止めたといえばいいのでしょうか。

無理に「心を通わせる」とか「気持ちで通じ合う」のようなことをしなくても、共感は成り立つのではないかという話です。

 

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