目的意識と手段への意欲

一度切れた糸を、再びピンと張るのは難しい。

ブログの毎日更新が途絶えてからの自分の気持ちがそれです。

実質1週間近く休んでしまいました。

 

こんばんは、コーチングスケイプの大森です。

 

さて、最近は英語の勉強をしているのですが、これがなかなか続かない。

続かない理由は、自分に欠けている知識を文法書など補おうとするのですが、読んでいる最中に眠たくなる。

学生時分に勉強をしていなかったツケなんですかね?

脳が勉強を受け付けないのです。。。

 

よくああいう風になりたいとか、こうなりたいという目標を立てますよね。

目標を持つことは大切なので、それ自体はとても素晴らしいことです。

でもね、その目標地点に到達するためにはそれ相応の努力が必要なのです。

目標達成のための手段ですね。英語であれば文法の勉強、単語力の増強、ヒアリング/会話力の強化などです。

英語を話せるようになりたいという目的をもって勉強をするが、英語の知識(文法や単語など)を知ろう、覚えようという意欲がないと英語が話せるようにならない。

別の言い方をすると、英語を話せる自分の姿を想像してワクワクするだけでなく、文法や単語を知ること自体も楽しいという感覚が求められるのかも、ということ。

「こうありたい」という目的意識が強くても、「やりたい」という意欲がないと目的はなかなた達成できない。

当たり前のことですが、目標を立てるときに見逃しがち。

 

普通は目標に対してコミットすれば、人間はおのずとそこに向かって努力をする。

こう思い込みがちですが、案外そこの到達するための手段を実践する意欲も確認する必要がありそうですね。

 

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みんなが会社を辞めていく理由

今日は午後の早い時間に仕事が終わり、夕方から家族で買い物へ。

何だかんだで散財してしまいましたが、家族が喜んでいたので良しとします。

私も新しい財布を購入。使うのが楽しみです。

 

こんばんは、コーチングスケイプの大森です。

 

今日のセッションで、社員が退職するというテーマで話がありました。

不思議なことに退職者が一定の時期に連なることがあります。

以前私が勤めていた会社でも同様のことがあったので、何となく分かるのですが、

皆それぞれ別の退職理由を語るのです。

だからといって退職者が続くのは偶然ではないと思います。

 

ある時期に勤務先の役員から退職者が増えている理由を調べるように指示された

ことがあります。それで辞めると言っている人や既に辞めた人など20名くらいに

インタビューをしたことがあります。

おおよそ彼ら彼女らは「会社の方向性が・・・・」「会社のビジョンが見えない」

「自分のキャリアパスが社内で見当たらない」などの大人の言葉で辞める理由を

教えてくれるのですが、ある日ふと気が付いたのです。

 

それは「辞める理由」があるのではなく、「居る理由」がなくなったのではないかと。

つまり自分がその会社に居続ける価値を見出せなくなったということ。

会社に残る、居続ける理由は単純なことで、その人が感じる働き甲斐とか、

会社への貢献とかを見失ってしまったということ。

 

会社の中で働くということは価値あることだと思うのですが、自分の扱われ方や処遇、

仕事の意味などが見えなくなってしまい、それで不安を感じる状態がそれです。

私も同じようなことを考えた時期もありますけど、周囲の人とコミュニケーションを

取りながら居続ける理由を見出しました。時として誰かがそれを感じさせてくれたことも。

そうしたコミュニケーション、もしくは他人との対峙の中から自分の価値を理解する。

 

もし「辞める」と言い出した人がいたら、その人がその決心をするまでの過程を

想像してあげてください。

今日のセッションでも、言われてみたら思い当たる節があるという話になりました。

でもその時は気づかなかったそうです。

ひょっとしたら気づかないようにしたのかもしれないとも。

要するにコミュニケーションを怠ってしまったのでしょうね。

気づいたのだから、改めてコミュニケーションをとるようにすればいいということに

なりましたが、結果はわからないまでもそうする価値はあると思います。

 

あなたの周りに、働き続ける理由を見失いそうになっている人はいませんか?

 

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抽象的な議論では現場が混乱する?

早朝から千葉で仕事をこなし、午後には神奈川へ。

出張といえるほどの距離ではないのですが、気分が切り替わるには十分な距離です。

旅もそうですが、ある程度以上の移動距離は人間の心に何かしらの影響を与えるのかもしれませんね。

 

こんばんは、コーチングスケイプの大森です。

 

組織内で上層部に行けば行くほど、決定事項が抽象的になる傾向があります。

あいまい、ではなく抽象化された意見ということ。

目の前の仕事をどうするかが現場の最重要課題であり、会社全体をどうするかが経営層の課題。

この視点の違いが階層ごとにあるからですね。

 

ところで、上部に行けば行くほど抽象的(包括的)な議論が交わされるのですが、具体的なこと、細かなことを全く考慮しなくていいのでしょうかね?

現場目線でとまでは行かなくても、ある程度の具体例なども考慮すべきではないかと。

でないと、実行不可能な決まり事が出来上がってしまいます。

今日もあるクライアントとのセッションで、リーダーが集まってアイデアをまとめていくという内容を扱いました。

「今日は大枠を決めよう」というスタートだったそうですが、いまひとつしっくりこなかったとのこと。

話を聞いていると、リーダー同士で交わされている言葉が抽象的なのはもちろんのこと、具体例などは一切話されていない様子でした。

例えば、ひとくくりに「業務」といっても様々な区分けが出来そうなのですが、それがされていない。

そんな状態で「業務分担をすればいい」とか、「業務を共有すべきだ」とか。

さらに聞くと、業務といっても複数の人間で分担できる業務もあれば、分担が難しい業務もあるそうです。もちろん業務の何を共有するのかも決められておらず。。。

そこで決まったことを現場に落としても、現場はいろいろな受け止め方をしてしまうのでまとまるものもまとまらないのです。

このまま「皆で業務を分担して進めてください」と現場に指示を出すとどうなるのでしょうね。

当然、いろんな意見が出てくるだろうし、「え、この業務も分担しなくちゃいけないのですか?」と混乱します。あるいは具体的なこともわからないまま情報共有するために無駄なミーティングが乱立するかもしれません。

 

最終的なアウトプットは「大枠」で構わないのですが、そこに至る検討過程では具体的な事案も視野に入れながら行う必要があります。

先の「業務」なら、一連の業務内容を整理してから大枠に落とし込む(まとめる)必要があるのです。

それを可能にするためにファシリテーターは会議中、時折「例えば、どんなことが挙げられますか?」とか「もう少し具体的な例を出しながら説明してください」などと気を配る必要があるのです。

具体性のない抽象的な議論。あなたの周りで、そんな会議は行われていませんか?

 

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