目的意識と手段への意欲

一度切れた糸を、再びピンと張るのは難しい。

ブログの毎日更新が途絶えてからの自分の気持ちがそれです。

実質1週間近く休んでしまいました。

 

こんばんは、コーチングスケイプの大森です。

 

さて、最近は英語の勉強をしているのですが、これがなかなか続かない。

続かない理由は、自分に欠けている知識を文法書など補おうとするのですが、読んでいる最中に眠たくなる。

学生時分に勉強をしていなかったツケなんですかね?

脳が勉強を受け付けないのです。。。

 

よくああいう風になりたいとか、こうなりたいという目標を立てますよね。

目標を持つことは大切なので、それ自体はとても素晴らしいことです。

でもね、その目標地点に到達するためにはそれ相応の努力が必要なのです。

目標達成のための手段ですね。英語であれば文法の勉強、単語力の増強、ヒアリング/会話力の強化などです。

英語を話せるようになりたいという目的をもって勉強をするが、英語の知識(文法や単語など)を知ろう、覚えようという意欲がないと英語が話せるようにならない。

別の言い方をすると、英語を話せる自分の姿を想像してワクワクするだけでなく、文法や単語を知ること自体も楽しいという感覚が求められるのかも、ということ。

「こうありたい」という目的意識が強くても、「やりたい」という意欲がないと目的はなかなた達成できない。

当たり前のことですが、目標を立てるときに見逃しがち。

 

普通は目標に対してコミットすれば、人間はおのずとそこに向かって努力をする。

こう思い込みがちですが、案外そこの到達するための手段を実践する意欲も確認する必要がありそうですね。

 

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気持ちではなく思考で受け止める

中国にシャオアイスという人と会話するスマホアプリ(人工知能)があって、四千万人ものユーザがいるそうです。ユーザひとりひとりに合わせた会話ができるので、まるで本物の人間みたいだと感じる人も多いようです。

この人工知能はユーザごとの反応を記憶・学習し、そのユーザが喜ぶことを言うように作られている。中にはシャオアイスを自分の恋人のように感じているユーザもいるのだとか。あるユーザが「歌って」とシャオアイスにお願いしてもなかなか歌ってくれず、ある日「家族とけんかした」と伝えると、励ましのメッセージとともにラブソングを歌ってくれたそうです。

相手に共感をするとか、人間同士が心を通わせる行為だと定義をすると、この人工知能とこのユーザ(人間)の関係はどう捉えたらいいのでしょうか。

 

こんばんは、コーチングスケイプの大森です。

 

相手が自分のことをわかって欲しいという願望があって、それを満たすのが共感と定義すると当てはまるかもしれませんね。

だとすると、気持ち(心・感情)は共感に必要なんだろうかという疑問も浮かんでくるのです。

自分が体験したことがないこと。そういうものに対して共感は難しい、というのが私の持論です。ですから私はコーチングのセッション中に不用意な共感は示しません。

 

先日、ある方の体験談を聞きました。学生時代に運動部に属して頑張っていたが、4年生になったときに新しいコーチが入ってきた。そのことによって今までのやり方(ゲームの進め方だけでなく体の動きも)が変わったそうです。3年間の練習で身体にしみ込んだ動きは簡単に変えられません。その時の苦労話だったのですが、私にはそのような経験がないのです。

でも共感を示せた部分もあって、その私の体験は悪筆矯正でした。何度かこのブログでも書いていますが、現在もペンの持ち方を正しくするよう矯正中なのです。持ち方を変えると何が起こるかというと、今まで何気なくかけていた文字が全く書けなくなります。笑ってしまうほど、指も手も動かなくなります。

人間の動きを支えているのは大小さまざまな筋肉です。自分の現在の動きを支えている筋肉は日々鍛えられていますが、使わない筋肉は鍛えられておらず、自分の意志ではなかなか動かせない。

このことを身をもって体験したのが悪筆矯正でした。体が自分の思うように動かないだけでなく、今までできていたことがまるっきり出来なくなる自分がとてもつらいのです。「こんな簡単なこともできない自分」をこんなに意識することはないでしょう。動かないことよりもそちらの方がつらいかも。

でも、出来るようになるためには反復練習しかありません。反復していくうちに必要な筋肉が鍛えられ、自分の意志通りに動くようになるのです。右利きの人が左手にペンを持って文字を書けばわかるかもしれません。動きとしてはそういうことですが、「利き手じゃないからね」という言い訳ができます。この言い訳がどこにも通用しないという状況なのです。

その人の学生時代の貴重な思い出と、私のペンの持ち方矯正を比べるわけにはいきませんが、それを伝えた結果、体が意志通りに動かないつらさを私が受け止められるということが相手に伝わったのですね。

 

この共感は、(少なくとも私の場合)相手の気持ちを受け止めたわけではありません。理解したのです。

つまり、気持ちではなく、理屈や理解することで受け止めたといえばいいのでしょうか。

無理に「心を通わせる」とか「気持ちで通じ合う」のようなことをしなくても、共感は成り立つのではないかという話です。

 

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コーチングを盲信すると自分自身が苦しくなりますよ!

コーチングは魔法の杖ではありません。

よく聞く言葉ですが、どういう意味なんでしょうね。

 

こんばんは、コーチングスケイプの大森です。

 

「何でもかんでもコーチングっていうのは受け入れられない」

よくマネージャ研修でコーチングを教えていると、こんなことを言われるのです。

私もその通りだと思います。何でもかんでも「コーチングで解決!」という人がいます。先の言葉は、こんな考え方に対する提言なのだと思います。

 

コーチングそのものは素晴らしいものです。人材育成でも強力な武器となってくれるはずです。

ただね、、、会社でマネージャが使うときには問題点もあるのです。

それは、相手の気づきを待っている仕事とにならない、ということ。

仕事には必ず納期があります。時間的な制約事項が「気づき」が生まれるまでの時間と利害関係を生んでしまうのです。

会社でマネージャが仕事の一環で使うのであれば、仕事を優先すべきだと思います。

だから、相手の気づきを待っていられないときは、納期優先で教えてしまったほうが早いです。

 

でも、ちょっとだけ。。。

ちゃんとその意図を伝えましょうね。

「ごめんな。今日の夕方までに確実に終わらせなければいけないので、今回は教えたとおりにやってくれるかな?」

口頭で伝えたら5秒くらい。たった一言添えるだけでいいのです。

要するに「今回は特別だよ。ほかの時はあなたの気づきやあなたの意思を尊重します」ということが部下に伝われば信頼関係は壊れません。

プロのコーチはこの限りではないのですが、マネージャが仕事として行うコーチングですからね。これで十分なはずです。

プロのコーチが行うコーチングは、クライアントと「コーチングを行います。あなたはクライアントで、私はコーチです。コーチは~」と説明し、合意(契約)をしてから行うので問題ないのですが、日常生活すべてにコーチング!と思わないほうが身のためです。時として信頼を損なう場合だってあるのですから。

 

会社だけでなく、日常生活でコーチングを意識しすぎると副作用もあるわけです。

例えば、子育て。

「子育てコーチング」を否定するわけではないのですが、何でもかんでもコーチングと思って子供と接しないほうがいいということです。

「怒らないで、叱る」というのは正論です。でも、絶対に怒らないというのも考えものです。

子供にとって一番身近な人間が家族です。家族の中の子供は社会から守られた状態です。

でも、子供が大きくなるにつれて社会と接する機会が増えます。親の知らない子供だけの世界を持つようになるのです。

きっとそこでは人様の感情にさらされることもあるでしょう。

もし、その子が他人の感情に対する免疫を持っていなかったら、どうでしょうね。

怒った相手に対する対応とか、少しずつ覚えていくのも成長過程です。

なのに、一番身近な人間が怒らないって。。。

年がら年中怒ってばかりも問題でしょうけど、まったく怒らないのも問題なのだと思います。

 

そもそもの話、私の親はコーチングなど知りませんし、怒って顔を引っぱたかれたこともあります。

コーチング的に子育てしなければ良い子が育たないのであれば、そんな親に育てられた私は(そして兄も)ろくでもない人間だということでしょう。

ちなみに兄も私も、きちんと働いて、社会生活を送っております。

 

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