自分について(3)

留年したばかりに1年遅れで入社することになった会社。いろいろ考えた結果だったけど、そこに至った理由を書いてみたいと思う。

当時は外資系企業は人気がなかった。日本企業の方が安定しているというのが主な理由だ。でも私は外資系であるその会社を第一志望にした。企業選びの基準は外資系コンピュータメーカーであること。そして教育がしっかりしていること。この2点を満たす企業は私が調べた範囲では2,3社のみ。今振り返っても間違っていないと思う。その中でイタリア資本のその会社を選んだのは、なんとなくイタリアの雰囲気に憧れたから。最後の部分は確固たる意志があるわけでなく、まぁ適当だった。

就職活動1社目は練習のつもりで受けた住宅メーカー。とてもいい会社だったので内定を断るときに本当に心苦しい思いをした。2社目に受けた会社に魅力がなかったらその会社に就職していたのかもしれないし、私の人生もまた別のものになっていたのだろうと思うとなんとも言えない気持ちになる。これを書きながら改めてそう思う。

第一志望の会社は第3面接を受けた後に内定を戴いた。記憶が薄れているが、面接後に待合室で待たされて、そのときに告げられたはずだ。その時に「この会社を受けてよかった」と心から思い、それが1年遅れでも入社しようと思った理由になった。

人事部長から直接内定を伝えられた時に「大森さんはうちのほかに受けるの?」と訊かれた。今風ならオワハラみたいな質問だろうと考えたが、正直にここが第一志望で他社を受ける気はなく、それをそのままの言葉で伝えた。

すると「もっと他の会社も受けなさい」と。一瞬、えっ?という感じの返答をしたら、人事部長は話を続けた。

「若いのだから色々な可能性を試した方がいいよ。そして、そちらの会社の方が魅力を感じるのだったら、その会社に入りなさい。それがあなたにとってもいいことだと思う。そのときはうちの会社に魅力が足りなかったんだと諦めるよ。」と話してくれたその笑顔が忘れられない。(いつかにつづく)

 

Italy photo

自分について(2)

学生の時、最終内定を貰っていた会社がある。自分もそこに入るつもりでいたが留年してしまい、お詫びの電話を入れることに。

電話口で驚いた印象はあったものの、先方の人事部長は「電話で話すのもなんだから、一度会社に来てください」と私に告げた。怒られることは覚悟していたし、留年のショックに加え、怒られる恐怖を抱えたままで居たくなかったので翌日訪問することにした。

怯えた表情(をしていたと思うが)で入室。面接の時より緊張する。しかし、期待していた(?)恐怖の瞬間は訪れなかった。人事部長は「残念だったね」と私を励まし、私の話を聞いてくれた。その表情が真摯で優しい印象であったことは覚えている。話しやすい雰囲気を作って頂いたので、一所懸命に話した。(というよりも詫びたの方が正しい)

一通り話を聞いたうえで、改めて私を励まし、彼は私に質問した。「大森さん、来年も就職活動するの?」

もちろんすると伝えると、その人事部長は私が驚くことを提案してきた。「もし大森さんが我々の会社に対する興味を失っていなかったら、また弊社を受けてください。あなたは我々が一度入社して頂きたいと判断した人なので、その場で内定を出しますから」と。怒られると思って来たら励まされ、こんな提案を受けて驚かない人は少ないだろう。申し訳ない気持ちでいっぱいだったので「本当に宜しいんですか?」と聞き返すと「もちろんです」と力強い回答が返ってきた。

結局、翌年私はこの会社に入社することになる。懸念点がなかったわけではない。留年が決定する前に事前の内定者研修があって、そこで多くの仲間ができた。その仲間とは同期となるはずだったが、結果として先輩となる。これをどう考えるかだ。普通に考えれば「格好悪い」し、正直避けたい事態の一つだろう。でも「身から出た錆」なのだから仕方ない。そう考えるようになるまで少し時間を要したけれど、先の人事部とのやり取りから3か月後に会社に電話をし、約束通り内定を戴いた。(つづく

 

希望 photo

自分について(1)

以前に他のブログやコラムでも書いたことがあるけど、このブログでも改めて自分について書いてみようと思う。といっても性格云々ではなく、現在の自分に大きな影響を与えている出来事について。

学生時代の私はお世辞にも勉強ができる人間ではなかった。高校時代の数学や世界史などは落第点すれすれだったと記憶している。勉強をしようと思ったのは高校2年の終わりか、3年生になってからだった。きっかけは予備校で英語と国語の講習を受けたこと。勉強の仕方、英語や国語の理屈を教えてもらえたからだ。とはいうものの、それまで全く勉強していなかった人間が急激に成績を伸ばすことは相当の努力が必要で、私にはその努力が足りず浪人生活を1年送ることとなった。基本的に勉強が嫌い。大学に入学してからもそれが変わることなく、大学には5年間通った。

つまり留年したわけだけど、これが私の人生において大きな出来事になった。留年したことはショックを受けたに違いないが、それ以上に大学4年の時の就職内定を断らざるを得なくなったことで、これがその出来事というわけだ。

今の就職活動はどのようなものか詳しく知らないけれど、私の時代には内定を断るというのは大事だった。学生の間ではすごく怒られる、いやそれだけではなく大学にも迷惑がかかるという噂が流れていた。でも、黙っているわけには行けないので、私は恐る恐る内定をもらった会社に電話を入れることになる。

私の就職活動は実質2社しか受けていない。幸いなことにその2社から内定を貰い、5月か6月には最初に内定を貰った住宅メーカーにはお断りの連絡を入れ、イタリア系コンピュータ会社に最終決定をしていた。その当時に2社から内定を貰えたことと、私が持っていた就職観は無関係ではなかったと思っている。が、このことについては別の機会に書いてみることにする。

会社に電話を入れた時、直接会って謝りたい旨を留年したという事情とともに伝え、後日訪問したわけだが怒られることはなかった。それどころか驚くような対応をされた。(つづく

 

Urban photo