ペンの持ち方矯正の途中経過

研修コンテンツ『コーチングの風景』を無償配布しようと決めてから、ずっと取り組んできましたが、その間はなぜか他にやりたいことが次々に出てきました。

ちょうど学生の試験期間中に本が読みたくなったりと、本筋から逃避しようとするのに似ていたのかも。その証拠にβ版も完成して、あと1週間ほどで公開を迎えた今、何となく気が抜けてしまい、取り組んでいたことが少し億劫に感じることも。

 

こんばんは、コーチングスケイプの大森です。

 

でも、その中で悪筆矯正だけは意欲が衰えません。きっと成果が出始めているからかもしれない。

正しい持ち方に変えようとペン字を始めて、少しずつやり方を自分で考えて変えながら約2カ月。ようやく正しい持ち方に慣れてきました。正しい持ち方をした時に力が入らなかった指も、いまはしっかりとペンを支えることが出来ています。

ただし、まだゆっくりとしか書けませんけど。それでも書くことが苦痛(悪い持ち方では力が入って数文字書いたら疲れていたのです)に感じることがなくなりました。原稿用紙一枚分の文字を書いても指は疲れません。すごい!

これまでは正しい持ち方を主眼に置いていたので、文字の形はそれほど気にしていませんでしたが、今日から横に手本を置いてきれいな文字を意識して練習するようにしました。第2段階ですね。

こういう練習は努力の分だけ成果につながるわけですから、やるしかない。というか、やらないと損なのです。やり始める、続ける、成果が出始める、さらにやりたくなる。こういう良い循環が出始めたのが自分でも分かります。

満足いく状態になるのはまだまだ先かもしれませんが、いまの努力の延長線上に満足な状態があることが分かったことが、現在の意欲の源です。

ということで、また新たな成果が出たら書きたいと思います。

 

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愚痴くらい言わせてあげればいいのに

世の中にはゴールデンウィークという何日も休める日があるらしい、という都市伝説を知りました。

それが本当だったら、なんと素晴らしい事でしょう!

 

こんばんは、コーチングスケイプの大森です。

 

いえ、私も休むんですけどね。でも、今日は仕事でした。

忙しい人たちが集まろうとすると、なかなか日程調整が難しく、なんだかんだで予定が入っていない日というと休日だったりするわけで。

会社に勤めて雇われの身だった頃は休みの日が待ち遠しかったのですが、独立してからは、休み=仕事が無い=お金が入ってこない、という公式が成立して休むことが不安になるのです。儲かっていない時期は特にそう思いますね(笑)

 

こんなところで愚痴を言っても仕方ないのですが、昨日の記事で「真面目な雑談」が社内コミュニケーションの要みたいなことを書きました。これ一歩手前の話になりますが、愚痴が言えるか言えないかも判断基準の一つかもしれないと思うようになりました。

愚痴っぽい人は私も苦手です。そんなことばかり言っても何も変わらないよね、と感じて余り続くと聞いているだけで嫌になってくる。

愚痴ばかり言うのも問題ですが、「愚痴すら言えない」雰囲気というのも息苦しい。

人間ですから負の感情があります。それを貯めこむことは精神的に良い影響はありません。それを適度に吐き出すことで、前向きな気持ちを取り戻すことが出来るのですね。

「愚痴すら言わせてもらえない」ような組織は、本音を漏らせない、本音で会話ができない状態なのです。

本音で語り合えない雰囲気の組織と、多少の愚痴を言う程度のことが許されて自由に発言できる組織。あなたならどちらの組織に属したいですか?

私なら後者です。ただ、愚痴ばかりになると困るので、愚痴を前向きな気持ちに変換できるコミュニケーションがあればいい。

ただそれだけなんですけど、なぜか愚痴すら言えない雰囲気を出している組織やマネージャーが多いのも事実です。

「あぁ、やってらんねぇ。経費を使わずに大きなイベントをやれって言われてもな…」
「そうだよね、分かる分かる。うちの部も同じだよ。」
「ありがとう。でも、やるしかないんだよね。何とかアイデアを絞り出さないとな」
「だよねぇ。お互い頑張ろう。愚痴りたくなったらいつでも聞くよ!」
「そうだね、俺も頑張るよ。」

これって、ダメな会話ですか?

 

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雑談が生まれる環境は組織の要

今日も一日、一人で黙々と作業をしていました。私は基本的におしゃべりなので、人との会話がないと辛いのです。

個人で仕事をするようになってからは、人と雑談をする機会が減りました。

大切なお客様の会社のリソースを私の雑談に付き合わせるわけにはいきませんし、コンサルティングの仕事では時間単位で課金することもあるので尚更です。ですから、サラリーマン時代のように同僚と世間話をするような機会が自然と減ってしまうのですね。

 

こんばんは、コーチングスケイプの大森です。

 

組織内で働いていた時は、意識しなくてもいろいろな人とコミュニケーションをとる機会がありました。営業職でお客様やビジネスパートナーに合うだけでなく、社内の人間とも多くの接点があったからです。

ところで、「社内コミュニケーションを積極的に取る」ということを意識的に行おうとする組織は少なくありません。コミュニケーションが生み出す価値を知っているからこその取り組みなのでしょうけど、時々違和感を感じるときもあるのです。

毎日会社に出て仕事をしていれば、自ずと接点はあるはずですよね。なのにあえて「コミュニケーション!」と社員に促しているわけです。

いや、意図は分かるんですよ。でもね。。。

 

営利組織の社員とか、ボランティア組織とか、何でも構わないのですが過去の私の経験上、組織が上手く回っているときはコミュニケーションが自然と取れているのです。そして、その多くは「雑談」だったりします。

その雑談はプライベートや家庭のこと、というよりも真面目な雑談。一見仕事とは関係のない、たわいのない会話です。お客さんからこんなこと言われて困ったとか、どこそこの会社でこんな取り組みを始めたらしいとか。すぐには仕事に結びつかない内容なのですが、互いに相談に乗ったり、ただ単に共感や興味を示すだけだったりと様々なパターンで会話が交わされていました。

このたわいのない会話が後に役立つこともあれば、立たないこともあるのですが、なぜかこういう会話がなされているときって会社も儲かっていたりします。

儲かっているから雑談が生まれるのか、雑談があるから儲かるのかは分かりませんけどね。

 

話を戻すと、コミュニケーションを取ろう!と言っているその会社が求めている会話が仕事上のコミュニケーションだとすると、ちょっと息苦しいかも。悪いとも思わないんですけど、コミュニケーションって「取れ!」と言われて取るような堅苦しいものではないと思います。

もし取り組むのであれば、コミュニケーションの阻害要因を考えた方がいいかも。きっと経営者やマネージャ同士もコミュニケーションを取っていないのだと思います。だから、社員に言う前に、自分たちのコミュニケーションを見直す必要があるのです。彼らが真面目な雑談を「自然に」取れるようになっていれば、会社の雰囲気も違ったものになる。そう思うのです。

 

あなたの周りで雑談は交わされていますか?

 

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