コーチングが当たり前の世界

たまに神社仏閣とか文化財に落書きがされたニュースが流れてきますよね。

最近も天然記念物に登山用のくさびが打ち込まれていたり。

禁止のルールがなくてもダメなことだと分かりそうなものですが・・・・。

 

こんばんは、コーチングスケイプの大森です。

 

基本的な話ですが、みんながマナーを守っていればルールなんていらないのですね。

電車内での携帯電話の通話をするとか、マナーの段階で治まっていれば規則にはならない。

簡単なことです。

 

でも、簡単じゃないんでしょうね、一部の人には (^^;

 

話は変わりますが、会議でみんなが発言をし、互いの意見をきちんと聞き、互いの意見を尊重しながら話し合いがまとまるのであれば、ファシリテーションスキルを持った人=ファシリテーターは不要なのです。

でもファシリテーションスキルはビジネスの分野でも着目されています。

ということは、、、なんですね。

 

コーチングも同じことだと思います。部下の意見を無下にせず、きちんと話を聞き、質問を交えて部下に考えさせる。意見を引き出し、行動を促し、その行動の結果から学ばせる。

これができていれば、ビジネスの現場でコーチングが注目を浴びることはなかったのでしょう。

 

完ぺきではなかったけれど、私が若いころにはそういう上司や先輩が身近にいて、失敗を見守りながら私を育ててくれました。今こうして偉そうにブログなんて書いているのも、そうした上司や先輩のおかげなのです。

でも、何故だかわからないのですが、今どきはそういう人が減ってしまっているのかもしれません。

だからコーチングの出番がやってきたということでしょう。

 

私が起業するときに、とある方から言われた言葉があります。

「大森がコーチングで食っていけるのなら、世の中が狂っているってことだよな」と。

コーチングなんて言葉はなかったけれど、そうこうことは昔の先輩後輩の間では当たり前だったとおっしゃっておりました。

当たり前だったかどうかは今となっては判別不能ですが、私の経験値からするとおっしゃっている意味はわからないでもないのです。

自分が失業するのはとてもとても困るけれど、そういう当たり前の世界が戻ってくることを祈っております。

 

あなたは部下の愚痴を聞けますか?

今日、午後のセッションを終えた後、急いで車を車検に出してきました。

最近は短時間で車検が取れるサービスがあるので、今日も2時間ほどで完了。

忙しい合間を縫って効率に時間が使える、便利な世の中ですね。

 

こんばんは、コーチングスケイプの大森です。

 

以前「愚痴くらい言わせてあげればいいのに」という記事を書きました。

でも、「会社で愚痴を言うな」という人は、どうして言わせないのでしょうかね。

愚痴を言っている暇があったら働け!ということなのでしょうか。

それとも「弱音」と受け取り、その弱音がグループや組織に伝播することを恐れているのでしょうか。

たしかに身の回りに愚痴ばかり言っている人がいると、こっちも嫌な気持ちになります。(たまにいますよね)

じゃ、みんなの前がだめなら、上司だけに言うのはどうなんでしょうね?

それも怒られる?

 

愚痴ばかり言っている人はともかく、たまの一言くらいいいのでは?と私なんかは思ってしまいますけど。

とはいうものの、昔の私だったら受け入れていないかもしれないなと、ふと思いました。

自分だって愚痴の一つや二つはある。でも言わずに頑張っている。マネージャだったら部下の前で強がりを言うことだってあるだろうし、そうしなければいけない時だってあるのです。

でもって、もう一つの理由が「面倒くさい」から。

なんだか部下の愚痴に付き合うのって、時間がかかりそうじゃないですか。

とか思っていたのかも。だめな上司でしたね。

なんというか「器が小さい」のです。

 

部下の愚痴を聞くのも上司としての器の大きさが必要なのかもしれませんね。

自分が上司で、部下の愚痴も聞けないのだとしたら、自分に余裕がない「器」の小さな人間だということを認めるのも一つの方法です。

「器が小さい」のが自分で嫌だったら、思い切って聞いてあげましょう。

 

私が組織に属していた時、営業職から企画部門や人材開発部門に異動したことがあります。

営業時代は余裕がなかったのかも。若いということも手伝って、十分に部下の話を聞いてあげたかどうかは自信がありません。(聞いていたつもりではありますけど)

でも、異動後は少し心に余裕ができたのか、人の話が聞けるようになりました。もちろん捉えどころのない愚痴を、です。

 

すると、どういうわけか相談される機会が増えました。

「実は転職しようか迷ってます」(←そんなこと会社の中で相談されてもなぁ)

「私、このまま働いていて良いのでしょうか」(←良いに決まってます!)

ま、こんな感じのことが多かったかも。

長い時には2時間くらい話に付き合ったこともあります。

なぜかこの頃は時間に余裕があって、、、これも仕事の一つだと思っていたから。

心に余裕があると、こういう相談も少しうれしくなります。

私という人間を信頼してくれている証でもあるのですから。

 

何が言いたいかというと、あなたが目指すマネージャ像、人間像に寄るところも大きいのですが、部下か愚痴くらい聞ける人間でありたいと思う人は、ぜひ聞いてあげてください。

 

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コーチングを盲信すると自分自身が苦しくなりますよ!

コーチングは魔法の杖ではありません。

よく聞く言葉ですが、どういう意味なんでしょうね。

 

こんばんは、コーチングスケイプの大森です。

 

「何でもかんでもコーチングっていうのは受け入れられない」

よくマネージャ研修でコーチングを教えていると、こんなことを言われるのです。

私もその通りだと思います。何でもかんでも「コーチングで解決!」という人がいます。先の言葉は、こんな考え方に対する提言なのだと思います。

 

コーチングそのものは素晴らしいものです。人材育成でも強力な武器となってくれるはずです。

ただね、、、会社でマネージャが使うときには問題点もあるのです。

それは、相手の気づきを待っている仕事とにならない、ということ。

仕事には必ず納期があります。時間的な制約事項が「気づき」が生まれるまでの時間と利害関係を生んでしまうのです。

会社でマネージャが仕事の一環で使うのであれば、仕事を優先すべきだと思います。

だから、相手の気づきを待っていられないときは、納期優先で教えてしまったほうが早いです。

 

でも、ちょっとだけ。。。

ちゃんとその意図を伝えましょうね。

「ごめんな。今日の夕方までに確実に終わらせなければいけないので、今回は教えたとおりにやってくれるかな?」

口頭で伝えたら5秒くらい。たった一言添えるだけでいいのです。

要するに「今回は特別だよ。ほかの時はあなたの気づきやあなたの意思を尊重します」ということが部下に伝われば信頼関係は壊れません。

プロのコーチはこの限りではないのですが、マネージャが仕事として行うコーチングですからね。これで十分なはずです。

プロのコーチが行うコーチングは、クライアントと「コーチングを行います。あなたはクライアントで、私はコーチです。コーチは~」と説明し、合意(契約)をしてから行うので問題ないのですが、日常生活すべてにコーチング!と思わないほうが身のためです。時として信頼を損なう場合だってあるのですから。

 

会社だけでなく、日常生活でコーチングを意識しすぎると副作用もあるわけです。

例えば、子育て。

「子育てコーチング」を否定するわけではないのですが、何でもかんでもコーチングと思って子供と接しないほうがいいということです。

「怒らないで、叱る」というのは正論です。でも、絶対に怒らないというのも考えものです。

子供にとって一番身近な人間が家族です。家族の中の子供は社会から守られた状態です。

でも、子供が大きくなるにつれて社会と接する機会が増えます。親の知らない子供だけの世界を持つようになるのです。

きっとそこでは人様の感情にさらされることもあるでしょう。

もし、その子が他人の感情に対する免疫を持っていなかったら、どうでしょうね。

怒った相手に対する対応とか、少しずつ覚えていくのも成長過程です。

なのに、一番身近な人間が怒らないって。。。

年がら年中怒ってばかりも問題でしょうけど、まったく怒らないのも問題なのだと思います。

 

そもそもの話、私の親はコーチングなど知りませんし、怒って顔を引っぱたかれたこともあります。

コーチング的に子育てしなければ良い子が育たないのであれば、そんな親に育てられた私は(そして兄も)ろくでもない人間だということでしょう。

ちなみに兄も私も、きちんと働いて、社会生活を送っております。

 

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