イメージギャップとノスタルジー

今日は都内で仕事を終えた後、神奈川県にある自宅ではなく千葉県の実家に帰宅しました。

明日の朝、早朝から千葉で研修の仕事が入っているためです。

 

こんばんは、コーチングスケイプの大森です。

 

予定よりも早く実家に着いてしまったので、暇に任せて「地元」をドライブ。

のんびり走ると、案外記憶の薄いところもあったりしました。

あぁ、この辺は○○中学があって、怖くて近づかなかった場所だ(笑)

当時は校内暴力とか暴走族とか、いろいろと荒れていた時代でして、、、

怖い中学校とか高校があったりしたのですよ。

 

気分を変えようと、自分が通っていた中学校を目指しました。

随分と変わったよ、とは聞いていたのですが、本当に変わっていた。

たまに帰省するときは家族と一緒なので、移動する場所も決まっていたのであまり気が付きませんでしたが、記憶を辿りながら車を進めるにつけ、何もかも変わっていることを知ったのです。

私が通っていた中学校は(田舎なので)広々とした畑の中にぽつんと立っていた後者の風景しか覚えていませんでしたが、行ってみると畑なんかどこにもない。

駅前から再開発で整備された道路を進むと突然それは現れたのです。

畑がないどころか、普通の街中の中学校でした。

 

なんだかな、という微妙な感じ。

最初から知らない土地ならばなんとも感じないのに、自分の地元だと思うから余計に違和感を感じるのですね。

でも、仕方ないのです。いつまでも思い出の姿でいるはずもないのは人間も景色も同じこと。

中学校なんておそらく30年以上訪れていなかったわけですから。

でも、中に入ったらどうなのかな、とか思いつつもそのまま通り過ぎました。

思い出は思い出として変わらぬ姿で取っておくことにします。

 

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あの頃に戻りたい?いや、今からでも遅くない!

今日は昼頃から雨が降るという予報だったので、なるべく午前中に用事を済ませておきました。

買い物に行ったり、図書館に行ったり、のんびりするはずの休日って結構やることが多いものですね。

 

こんばんは、コーチングスケイプの大森です。

 

昨日の晩、唐突にコンピュータのプログラミング言語を覚えようと思い立ち、興味の赴くまま「C言語」という開発言語を学んでみることにしました。

今日、さっそく図書館に行って借りてきたのが「本当は怖いC言語」というタイトルの本です。なんだか恐ろしい感じの本ですが、読んでみたらそんなことはなく、文系の私でも努力すればついていけそうな本でした。

最初は開発方法とかではなく、言語の歴史から書かれていて、懐かしく読んでおりました。もともと私はIT系の人間なのですね。でも営業なので技術的なことは詳しくありません。それでも歴史の流れは理解できるので、なるほどそういうことだったのかと改めて理解することができました。

へぇ、あの頃は訳もわからずインストールしていた「.NET Framework」って、そういうものだったんだとか。

私がコンピュータに興味を持ったのは中学生のころ。当時はお金もなかったので、実際にパソコンを自分で手に入れたのは大学4年ころでした。Macintosh SE という機種です。モノクロ画面で今のスマホにも敵わない性能でした。でも、ハイパーカードという誰でもプログラミング(実際にはそんな大げさなものではないけど)のようなことができるツールで、いろいろと遊んでいました。

今回プログラミングを学ぼうと思ったのも、あの頃の楽しかった気持ちをどこかで取り戻したいのかもしれませんね。

仕事で使うわけでもなく、急ぐ必要も期限もないので、気ままに学び続けようと思っております。

 

あなたをワクワクさせた思い出は、いつ頃のことですか?

 

Macintosh photo

Photo by shaniber

自分について(3)

留年したばかりに1年遅れで入社することになった会社。いろいろ考えた結果だったけど、そこに至った理由を書いてみたいと思う。

当時は外資系企業は人気がなかった。日本企業の方が安定しているというのが主な理由だ。でも私は外資系であるその会社を第一志望にした。企業選びの基準は外資系コンピュータメーカーであること。そして教育がしっかりしていること。この2点を満たす企業は私が調べた範囲では2,3社のみ。今振り返っても間違っていないと思う。その中でイタリア資本のその会社を選んだのは、なんとなくイタリアの雰囲気に憧れたから。最後の部分は確固たる意志があるわけでなく、まぁ適当だった。

就職活動1社目は練習のつもりで受けた住宅メーカー。とてもいい会社だったので内定を断るときに本当に心苦しい思いをした。2社目に受けた会社に魅力がなかったらその会社に就職していたのかもしれないし、私の人生もまた別のものになっていたのだろうと思うとなんとも言えない気持ちになる。これを書きながら改めてそう思う。

第一志望の会社は第3面接を受けた後に内定を戴いた。記憶が薄れているが、面接後に待合室で待たされて、そのときに告げられたはずだ。その時に「この会社を受けてよかった」と心から思い、それが1年遅れでも入社しようと思った理由になった。

人事部長から直接内定を伝えられた時に「大森さんはうちのほかに受けるの?」と訊かれた。今風ならオワハラみたいな質問だろうと考えたが、正直にここが第一志望で他社を受ける気はなく、それをそのままの言葉で伝えた。

すると「もっと他の会社も受けなさい」と。一瞬、えっ?という感じの返答をしたら、人事部長は話を続けた。

「若いのだから色々な可能性を試した方がいいよ。そして、そちらの会社の方が魅力を感じるのだったら、その会社に入りなさい。それがあなたにとってもいいことだと思う。そのときはうちの会社に魅力が足りなかったんだと諦めるよ。」と話してくれたその笑顔が忘れられない。(いつかにつづく)

 

Italy photo