あなたが心からやりたいことに意味はあるのか?

今日は接骨院で五十肩の治療を受けて来ました。

まだ肩が上がりませんが、治療を受けて痛みが取れるだけでもかなり楽になります。

早く良くなればいいのですが、いつ治るかは予測ができません。

 

こんばんは、コーチングスケイプの大森です。

 

自分の記憶力が弱くなったせいなのかは分かりませんが、思いついたアイデアが時間を置くことで思い出せなくなることがあります。

今日のブログのネタも、午前中に「あ、このことについて書こう」と思ったことがあるはずなのですが、どうにも思い出せない。

ひょっとしてメモしてあるかなとメモ帳を見返してみましたが、書いていない。それもそのはずで、書いた記憶がありませんからね。(溺れる者は藁をもつかむ)

 

ということで、アドリブで書いていきます。

 

コーチング研修などで受講者同士で模擬コーチングを行ってもらうことが多いのですが、その時にクライアント役になった受講者がコーチングでコーチに相談するテーマが思いつかないことがあります。

今の課題は何?というテーマ設定に対しては、ちょっと考えると思いつくようですが、意外と出てこないのが「あなたがやりたいこと」というテーマです。

真面目な人ほど躓く傾向があるようにも思うのですが、何故でしょうね?

自分の「これから」について考えたことがないのかもしれませんけど、それでも全く出てこない人もいることは事実です。

私が思うに、自分がやりたいことに意味を見出そうとし過ぎているのかなと。

自分の「やりたいこと」が将来、自分にとって意味があることであり、今の自分から見ても納得のいくものを探そうとすると意外と思いつかない、そう思うのです。

自分のやりたいという感情に合理的な意味なんてないことの方が多いはずです。

私だったら50歳を目前にして突然プログラミング言語を学ぼうとしています。でも、これって何の意味もないのですよ。(少なくとも今のところは)

老後にプログラマーとしての職を得ようとか、それを学ぶことによって自分の将来に得なことがあるとか。実際にはそんなことはないと思います。

でも、不思議なことに学ぶ過程で起こることや、学んだことで何かを起こる可能性も否定できません。確実なのは「今は意味がない」ということだけです。

では、何のために学ぶのか? 答えは簡単です。

 

「やりたいから」

 

以上。(笑)

 

でも、こんなものなんだと思います。「世の中で起こることのすべてに意味がある」というのは結果論的な発想で、たいていは後から意味が出てくるもの、もしくは意味を見出されるものです。

だから、これから先に起こることには、現時点で意味がないのだと。

損得勘定ばかりで「やりたいこと」を考えていたら、何も浮かばないのはよく分かります。まだ起こっていない事柄で、しかも意味のないところに意味を見出そうとか、損か得かで判断しようとしているのですからね。

あれこれ考えないで、自分の中の声に耳を傾けて聴いてみる。その中で本当にやってみようと思えるものがあれば一歩でも二歩でも踏み出してみる。

やってみて違ったら止めればいいだけですから。

 

あなたの「本当にやりたいこと」は何ですか?

 

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21年前の今日のこと

今日から21年前、阪神淡路大震災が起こったんですよね。

私は関東の人間なので、直接の被害はありませんでしたが、テレビの画面で見た光景が未だに記憶に残っております。

被害にあわれた方に改めてお悔やみ申し上げます。

 

おはようございます。コーチングスケイプの大森です。

 

震災の当日、務めていた会社のアメリカ本社から来た人間を大阪の会社に連れていくという役目を負っていました。遅刻ギリギリで会社に行く前にテレビでその光景を見て「これは中止だな」と思っていたのですが、当時の上司はそれを知りませんでした。だから「何とかなるだろ、行け」という感じの反応だったのです。それでも時間が経つにつれ情報が伝わってきて、ようやく中止の判断が下されました。一日連れていたらどうなっていただろうとか、そんなことも考えていた記憶があります。

その日、家に帰ってからも話題は震災のことでした。不謹慎ながら身内で被害にあった人間がいないことに安堵していたのです。

 

そこから2,3日経って、実は兄が三宮にいたということが分かりました。被害にあった身内がいたじゃないですか!実際にはけがを負うこともなく、多大なる不安と不便をこうむった程度だったみたいですが。

兄が三宮にいることは実家の母が知っており、しかも兄は大事になった状況の中、1時間くらい足元の悪い道を歩いて通話可能な公衆にたどり着き、電話の前で列をなしてようやく自分の番になって実家に電話を掛けていたのです。朝方だったということもあるのですが、その時の会話は、

兄「あ、もしもし」
母「おはよう。どうしたの?」
兄「大きな地震があって大変なことになっているけど、俺は大丈夫だから安心してね」
母「地震?こっちは全然揺れなかったよ」
兄「じゃ、他の人も並んでいるから切るね」
母「わかった」

という内容だったらしく。

おおらかな母には事の重大さが伝わらず、後に世の中で騒ぎになっている地震のこと、兄が出張で三宮に行っていたこと、電話があった事、これらが結びつくのに時間が掛かったようです。母の名誉のために言っておきますが、認知症とかそういうたぐいのものではなく、おおらかなだけです。そして21年経った今も元気です。

改めて被害にあわれた方にはお悔やみを申し上げますが、毎年この家族の平和なエピソードを思い出してしまうのですね。

 

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家族の大切な時間

三連休の中日。今日は新月なんですね。闇から月が生まれてくる、そんな風に昔の人々は考えていたのかもしれません。そんな新月に願い事をすると叶うとかなんとか。本当に叶うとしたら何をお願いしますか?

 

おはようございます。コーチングスケイプの大森です。

 

さて、昨夜は家族で外食をしてきました。上の娘が大学生で授業や部活やアルバイトやらで忙しく、家族で集まる機会も減りつつあります。冬休みには下の娘を実家に預けたりしていたので、年末年始に家族だけで集まるという機会がありませんでした。なので、たまには外食もいいかなと思った次第です。

最初は何気ない会話から始まり、そのうちに昔の思い出の話に。その時に気が付いたのですが、思い出のトリガーというか、密接に結びついているものがあるのですね。たとえば、流行歌などがあります。誰にでもその曲を聴くとあの頃を思い出すという曲はありますよね。

 

昨日の昔話でトリガーになっていたのは「ぬいぐるみ」でした。小さいころに大事にしていたぬいぐるみです。名前がどうとか、誰に買ってもらったとか、どこで失くしたとか、ちゃんと覚えていました。

以前テレビCMで、「(幼い頃に)どこに行ったかは覚えていないけど、誰と行ったかは覚えています」という内容のものがありました。うちの子の場合、意外と覚えていましたね。下の娘が小学生ということもあるかもしれませんが、上の子も覚えていたので、年齢に関係なくどこに誰と行ったかは記憶にあるようです。

 

親としてはちょっと安心しましたし、こういう団らんの場がいつでも持てるといいなと思うのです。でも、いつかは親元を離れるのでしょうから、今を大切にしたいなと思いました。

 

あなたの家族にとって大切な「今」は、どのような時間ですか?

 

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